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リチャードの日記 最新記事

2009年07月09日

御言葉memo。

エペソ2章
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、
また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
posted by リチャード at 23:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 感じた事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

Where is your treasure?

ベタニヤのマリヤは、300デナリの香油を割ってイエスに注いだ。
彼女にしてみれば、その行動は宝であるイエス様に対する愛から出た自然なものだったけれど、
他の人の目には、無駄な、非難すべき事として写った。
しかし彼女のした行動は、永遠に語り継がれている。

イスカリオテのユダはイエス様が自分の思い通りにならないので、20シェケルでイエス様を売った。
彼は結局まっさかさまに落ち、はらわたが全部飛び出してしまい、その事が全エルサレムに知れ渡って語り草となった。

もしイエス様が宝なら、持ち物を投げ売ってイエス様を礼拝する。
もし持ち物が宝なら、イエス様を投げ売って持ち物を手に入れる。
人は二人の主人に仕える事はできないし、自分の宝のある所に心があるのだ。

もしイエス様が宝なら、栄光のうちに永遠に生きる。
もし持ち物が宝なら、悲惨と永遠の恥が待っている。
posted by リチャード at 15:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 御言葉の剣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

090706にっき

7月1日
月初作業と先月度各種案件のレポート、向こう2週間で仕上げなくてはならない別案件のミーティング等で、仕事が忙しかった。
キャバクラでおなじみの取締役に突然飲み会に誘われた。
私は仕事で現地到着したのは22時半過ぎだったけれど、取締役はさらに遅れて来た。
帰り一緒に電車で帰った50台社員は今月一杯で契約が切れるらしい。
私の証と福音をちょっとだけ紹介したけれど苦笑いされるだけだった。
とにかく疲れた一日だった。

7月2日
前日の事で疲れていたけれど、TWOSの学びに行く。
エレミヤ31:31-34、エゼキエル36:24-29の、新しい契約の箇所。
旧約時代、神の提示した契約を人は守れなかった。しかし、主は新しい契約を与えてくださり、主の霊を私たちに授けてくださったのだ。
その霊にあって歩ませて下さる限り私たちは全ての汚れから救われ、持ち物を祝福され、災いから守られる。
この恩恵はとてもじゃないけど計り知れない。
もしこの恵みが無かったなら、私は絶対滅びるしかない。
でも、、、その恩恵の素晴らしさを、私は1/100も理解していないんだ。
なお、この箇所に限っては、中国語・韓国語聖書では「主の御告げ」ではなく「夫の御告げ」と書かれてあるらしい。

7月3日
2週間で仕上げなくてはならないレポートの案件についてのんきに構えていたら、その案件のキーマンはなんと次週一杯休みを取って不在になる事が判明。
おまえ、プロとして自覚あんのか?!!と思うも、客なので強く言えず。
彼が暫くいなくなるため、彼がいる今日のうちに聞ける事を洗い出すだけ洗い出して、不明確な事は聞いて、現時点でどうしても不明確な事はそのままにして、とりあえずこの週の仕事はこれで終わりにする。
次の週は大変そうだ。

7月4日
K姉妹・Sちゃんと、八景島へ遊びに行く。
当初は横浜海の公園で潮干狩りだけする予定だったけれど、行ってみると時期的にも時間的にもかなりシーズンオフだったので、潮干狩りはあきらめて、そこからすぐ近くの八景島シーパラダイスで遊ぶ。
私たち3人はこの数週間、それぞれ与えられたなすべき事でいっぱいいっぱいだったけれど、この日はただ遊びだけに専念できて、つかの間の休息が与えられた。
水族館の魚達は創造の御技のすばらしさを実感できたけれど、所詮は飼われている身なのがちょっとかわいそうだった。
なお、私を困らせる意図で乗ったジャットコースターは、逆に彼女らの元気を1/2にし、私の元気を2倍にしてしまったらしい。

7月5日
礼拝では奏楽の奉仕をした。
最近この教会に導かれているIさんと、聖書や福音の事について初めて色々と話し合った。
彼の好きなアーサーホーランドは、以前はジーサスの事を良く書いていたけれど、最近の彼の著作は、ジーサス以外(ネイティブアメリカンの信仰(自然崇拝)や、ジョン・レノンの思想など)人間の思想や哲学を紹介するようになったらしい。
私はアーサーホーランドとはあまり関わってないけれど、もしIさんが真理を本当に追求するなら、アーサーとか牧師とかKGK主事とかではなくて、まさに生きて働かれているジーサスに直接聞くのが一番だよ、と伝えた。
内心、アーサー、ヤバイんじゃない?と思った。


7月6日
もぉ仕事づくしだった。
17時ごろ、全く別の案件の資料作りを頼まれた。
なんでこんな事をしなきゃいけないんだか。。。
仕事づくしで終わりそうです。
posted by リチャード at 23:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月29日

090629にっき

6月25日
網棚から荷物を降ろす時、隣のおじさんの頭に聖書が降ってきた。
夜、T教会でピアノやKFCワーシップで賛美しまくった。
英国KFCのCDでワーシップをしていると、不思議なことに花の香りに満たされた。

6月26日
M社案件で残業した。
夕食は銀座「ふくろう」でラーメンを食す。
限られた時間で溜まった家事をした。

6月27日
静岡・沼津へルアー釣りに行った。
ついこの前行った忍野八海を水源とする釣堀で、夏でも冷たい水が流れてくるため魚の活性は良い。
O竹さんは80匹釣った。
私は24匹。でも入れ食い状態に飽きたので、セミ・バッタ・カナブン型ミノーをソレっぽく動かして、食いついてくるのを楽しんだ。
持ち帰ったマスはまた味噌漬けにして長期保存。
日焼けしすぎた肌は、教えてもらった民間療法を施したお陰で、あまり痛みは残らなかった。

6月28日
いとこのA子さんと一緒に教会に行った。
教会の人達には、リチャードがついにカノジョを連れて来たと間違えられた。
早々に切り上げ、KFCに行こうとするも、疲れていたのか仮眠しすぎて、起きたときには既に20時。
寝不足と疲れが溜まっていたんだろう。
眠れぬ夜はK姉妹と長電話した。

6月29日
26日頼まれていたM社案件が、17時ごろ新たに頼まれ事をされて、また残業。
23時半ごろ家について、こうして日記をしたためてます。
T教会では賛美が常に捧げられていて、花の香りで満ち溢れているらしい。
私もワーシップ、したいなあ。
posted by リチャード at 23:56 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

降りそそぎ

昨日も仕事が降って来て、帰りが25時ごろだった。
こんどの聖歌隊の曲は、雨を降りそそぎ
網棚から荷物を降ろす時、隣のおじさんの頭に聖書が降ってきた。
私を睨むその顔は、以前の主任に似ていた。
憐れみがありますように。
アーメン。
posted by リチャード at 11:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | どーでもいい事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

セラ

詩篇に「セラ」という言葉が何度も出てくる。
さて、ここでクイズ。
聖書で、詩篇以外にも「セラ」が出てくる箇所はどこでしょう。

元々詩篇はダビデが聖歌隊に歌わせた聖歌の歌詞を編纂したもの。
「セラ」という言葉には色々な説があって、楽譜でいう休止符にあたるものだとか、逆にフォルテッシッシモにあたるとか、オーケストラの間奏を示すものである、などなど。
今では「暫く休むことを表す」というのが有力だそうだけど、いずれにせよ、音楽の一連の流れに変化を与えるもののようです。

音楽は実に不思議だ。

水の流れのように、緩があり急があり、強があり弱がある。
不協和音や協和音を持ってくるタイミングによって、喜怒哀楽を表現する事ができる。
緩があるから急が映え、強があるから弱が映える。
不協和音があるから、協和音が映える。
逆もまたしかり。

はじめから終わりまでずっと強音で協和音ばかりの音楽なぞ聞きたくない。
人生も全く同じ。
セラが必要なのだ。

ボーカル、ギター、キーボード、ドラムなど、それぞれのパートが調和しているバンドは素晴らしい音楽を奏でるけれど、どこかのパートが一つでも自己主張して走りだすと、バンド全体がダメになってしまう。
そんなヤツはバンドから引っこ抜いたほうがいい。
神の国も全く同じで、わずかなパン種が全体を腐らせてしまう。

いつだったかsaltさんが言っていたけれど、私たちはどこにいて何をしていても、イエスのタクトを見つめ、「ひとつの音楽」を奏でることができるのだ。
黙示録に表されている天上のオーケストラは、そういうものなのだろう。
自己主張する輩、イエスを差し置いて自分がリードしようとする輩は、
そもそも天上のオーケストラに参加できない。

P.S.
クイズの答えはハバクク書です。
posted by リチャード at 14:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | 御言葉の剣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

ロミオとジュリエット

兄家の台所でPARAISO発見。
この家には映画DVDがたくさんあって、たまたま手に取った「ロミオとジュリエット」を、PARAISOロックをちびちびやりつつ、チワワにじゃれながら観た。

シェークスピアの作品なら大学時代に大量に読んだなあ。
大学は理学部化学科だったけれど。
当時は実験まみれで肉眼には見えないミクロ世界を分析ばかりしてて、
その過程において薬の分量をミリグラム単位でも間違えると全部やり直しという、
至極単純でありシビアなほど論理的な世界に嫌気がさしていたのか、そのアンチテーゼとして、文学本を読みまくった。
シェークスピアは4大悲劇・4大喜劇はもちろん、英語原文まで古本屋から仕入れて読んで、
外人と英語で話す時、シェークスピアの名言を英語原文でチラホラ出して「この日本人タダ者じゃない」と思わせて楽しんでいた記憶が。。。
今じゃセリフはほとんど覚えていないけど。

映画の中の舞台は中世イタリヤではなく現代アメリカで、馬の代わりに車が、剣の代わりに銃が使われて、いかにもハリウッド的カメラワークや映像に毒されたような映画だったけど、セリフは所々原文が使われていて、あぁそんなセリフもあったなぁと思い出しては懐かしかった。

ロミオ、突然ジュリエットの手を握る: 「もし私のいやしい手があなたの手にふれ、聖堂を汚したとしたら、その罪を大目にみてください。その償いに、二人の巡礼さながらに、恥じらいで赤くなった私の唇が手荒な手のあとをぬぐうべく、ひかえております。」(と言いながらジュリエットの手を引きよせてkiss)


ジュリエット:
「巡礼様 その手にあまりひどいお仕打ち、このように、礼にかなった 信心ぶりですのに。
聖者の手は巡礼の手が ふれるためのもの手と手をぴったり会わせるのが巡礼の口づけ。」

ロミオ:

「聖者にも巡礼にも唇があるのでは?」


ジュリエット:

「巡礼様、その唇は 祈るためのもの。」


ロミオ:

「では、聖者様、手が行う勤めを唇にお許しを。(と言いながら唇にkiss)
唇が祈ります。信仰が絶望せぬようにと。」


ジュリエット:

「では、聖者様、手が行う勤めを唇にお許しを。(とkissし返す)
唇が祈ります。信仰が絶望せぬようにと。」


云々。


現代、告白の場面で上記と同じ事するには、厳しいものがある。
posted by リチャード at 23:57 | Comment(3) | TrackBack(0) | オフ/レジャー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月20日

留守番

今日、明日と兄が嫁の実家へ挨拶に行くので、私は兄が飼っているチワワ2匹のめんどうを見るため、兄の家で留守番してます。
映画DVDや本・マンガがいっぱいあるし、ネットも電動自転車も使い放題なので、久しぶりに一人ダラダラした時間が過ごせるかなと思ったら、、、
ダラダラではなく、かなり有意義に過ごすことができました。

今日特に心に残った御言葉はハガイ書 01 02 

posted by リチャード at 18:02 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月19日

TWOS再開

The way of the spirit の学びを、K・S姉妹と一緒にする事になった。

昨日は最初の2日分から学んだ。
このテキストは、まず読むべき聖書の箇所が示されていて、その箇所に関する1、2行の質問は1日につきわずか2問。

A4の紙に印刷すれば1枚が1週間分になってしまうほどシンプルなものだけれど、それがかなり重くて深い。

お互い御言葉の受け止め方、特に教えられた事が全然違っていたり、解釈が真逆だったり、
また、設問とは関係の無い箇所が妙に心に突き刺さったり、
話の脱線で、これこれの場面ではどうしたらいいだろうか、と聞いたら別の御言葉が示されてさらに広がったり、
とにかく新しい発見がたくさんあって、有益で楽しかった。

元々このコースの目的は、神学的な知識を得ることではなく、御言葉を読むことを通していのちを得る事。
わずかテキストのA4紙半分ほどの設問で2、3時間も交わることができ、「ここで終わりにしましょう」と言って強制終了しなければするくらいだったので、目的は十分果たすことができた。

やっぱり一人でやると途中で行き詰ってしまうけれど、複数でやるといのちが豊かに共有できて、とてもイイ。
posted by リチャード at 18:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日常-祝福された日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

仕事がドバッと降ってきた

これは昨日の書き込みが原因か?!
チェソンハムニダふらふら
posted by リチャード at 17:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | どーでもいい事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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