2009年10月28日

御使い

イザヤ 37:36
主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。

英語の聖書ではan angelとあるので、一人の御使いが十八万五千人を撃ったらしい。
それほど力がある御使いは、主を恐れる者の周りに陣を張り、彼らを助け出される。

詩篇34章
この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。
若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。

主を恐れる者には、御使いは陣を張って守ってくれている。
主を恐れる者を見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。
posted by リチャード at 12:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 御言葉の剣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

聖書の学び会はじめました

実は先々週の土曜から、聖書の学び会をはじめている。
場所は天声教会、昼13時から。
Pennyさんが来た時、そこに参加したある姉妹がもっと聖書を知りたい、という願いが起きたのがきっかけ。

内容は極めて単純。
御言葉を読んで、その内容をよく租借して、それぞれが受けた恵み、啓示、あるいは証などをシェアするというもの。

本当は福音書のどれかから始めようと思ったけれど、まずキリストにあって私たちが得ている地位を明確にしたほうが良いと思い、エペソ書から始めている。
とても内容が濃く、その時々の疑問や回答、示される事などで、引用箇所もあっちに行ったりこっちに行ったりしている。
また、主にある私たちの地位が明確にされるにつれ、学びに来る人も諸々が開放され、日々穏やかに変えられてきている。
私の他、3人の姉妹でやっていたけれど、明日はもう一人増える予定。

この学びがこれからどこへ導かれるのか、とても楽しみ。
posted by リチャード at 00:25| Comment(2) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

う〜む、やり過ぎたかな

コンピューターに一連の処理を記憶させて自動実行させる仕組みをマクロと言う。

最近、ブログ更新よりもmixiゲームのサンシャイン牧場をやるのは、どうも良くない。
(もちろんそればかりやってたわけじゃないけど)
そこでラクして牧場を育てる方法を考えてみた。

牧場で、ある事をして、ある行為をすると、コイン1消費する代わりに経験値0.5(10月祭り中は1)が手に入る。
ひたすらその行為をさせるマクロをコンピュータにループ実行させ放っておいたところ。。。
不自然なほどレベルが上がっちゃった。

よし、こう自分に言ってやるのだ。
さあ、これから先何日もラクできるだけのレベルが上がったぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ。

しかしサンシャイン牧場の管理者は言った。
愚か者、お前は不正なやり方で経験値稼ぎをしたため、明日垢バンされるのだ。
そうしたらお前が稼いだものは、いったいだれのものになるのか。

バーチャルの世界でもこの世でも、持ち物を増やそうとかステータスを上げようとかに右往左往している者達はこのとおり。

真に意味のあるもの、永遠に残るのは、
神の国の事。

そーやってバーチャル世界で手間ひまかけてる間に、リアル世界の兄弟姉妹達がお腹すかせたり寂しがったり、ビジネスチャンスを逃したり、体がなまったり、家に埃が溜まっていくんです!

なんて私が言っても説得力ない?!(笑)
posted by リチャード at 17:03| Comment(5) | TrackBack(0) | どーでもいい事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

All you have to do is...

10月に入って仕事が忙しくなり、仕事以外でもなすべき事、主と共に乗り越えるべき課題がたくさんある。
少しはゆとりが欲しいけれど、ますます器を広げられている事は確か。

ひまわりでPennyさんと共に食事していた時、彼女が語った言葉がボディブローのようにずっと効いている。

All you have to do is,
 sit on the authority of Jesus
 and speak the truth.
(あなたが成すべき事は、イエスの権威に座し、真理を語る事、それが全てです。)

イエスの権威の座から離れて、右往左往してはならない。
彼の座・彼の平安から降りて、自分の権威・自分の力でなんとかしようとする事は、愚かだ。
真理を語る事。
そうすれば、語った真理が、後の全てを成す。

その事を学ばされています。

そうそう、Pennyさんの通訳をした時のメッセージを後になって聞いてみて、ビックリした。
意外と自分、落ち着いていたし、
「なんでこんな知らない単語・慣れない発音の英語を、パッと通訳できたんだ?!」と思うような場面もたくさんあったし。
何より、自分の通訳を通して語られたことばに、恵まれた。
自画自賛ではないけれど。。。

あの時、本当に主が働かれていたんだ。
posted by リチャード at 12:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

KFC通訳デビュー

今日はPennyさんがKFCにて言葉のシェアをするという事だったので、私はウチの教会で礼拝を守った後、即KFCに向かった。

私が到着した時はまだ最初のワーシップ中で、やった、彼女のメッセージが最初から聞ける、と思った。
先日は、海外経験皆無な私による初めてのメッセージ通訳に必死で、あまり彼女のメッセージをじっくりかみ締められなかったから、今日は落ち着いて味わおうと期待しつつ。

ワーシップが終わり、Pennyさんが紹介され、いざメッセージをする時、思いがけない言葉がLukeさんの口から出た。

「ではペニーさんといいペアのリチャードさん、通訳お願いします。」

「?!」

まただ。
信仰によって一歩踏み出すか踏み出さないかを一瞬で決断しなくてはならない機会が、またしても突然降って沸いた。
ちょっと迷ったけれど、引き受ける事にした。

でもいざ立ってみると、色々な雑念が来た。
そういえばこのメッセージ、KFCホームページから全国に配信していたんだっけ。。。
また前から見ていると、私が通訳する以前に彼女が英語で話している段階で笑うなどの反応をしているのを見て、ああ彼らは私よりも英語を理解している、英語耳のほとんど無い私の通訳をどう評価するだろう、、、
など、そいういった目に見える状況に捕らわれている時は、頭が真っ白になって聞き逃したりつまったりした。

でも、目を閉じ状況を見ないで彼女の霊とことばにじっと耳を傾けた時、
私の英語能力の限界で聞き取れない事があっても、先日のように、内側の霊がことばを察知し、動揺も不安も全く無く言葉が出て来た。

でも再び状況と自分を見ると、、、

その繰り返し。
と、まぁそんなこんなで、どうしても分からない時はLukeさんの助けを得つつ、なんとかやり遂げました。

でも、、、またしても必死だったので、メッセージの内容はあまり覚えていない。

その状況は、KFCホームページから音声メッセージを聞けます。
Pennyさんのメッセージは多くの人に聞いて欲しいけれど、私のたどたどしい通訳はあまり聞いて欲しくないなあ。
posted by リチャード at 23:56| Comment(6) | TrackBack(0) | 日常-祝福された日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

恵みに溢れた日でした

23日はもりだくさんでした。

朝は早天礼拝で私がメッセージ(創世記4:5〜7、ロマ7:14〜8:2、)させていただき、
昼はPennyさんとひまわりで合流して食事し、
その後の水曜祈祷会ではPennyさんがメッセージ。(私が日本語に通訳し、それをK姉妹が韓国語に通訳)

ルカ18:1〜8の不正な裁判官のたとえから、いつでも祈り続けるべきである事を語り、集まった皆にとって、きわめてタイムリーなメッセージだった。
「あの時は恵まれてよかったね、よかったね」で終わってはならない。
いつも祈り続けるべき、だと思う。

会の後、御霊に促されるまま、そこにいた一人ひとりへの霊の祈りと預言をする時となった。(本当にたまたま、そうなった。)

彼女の英語の預言を私が日本語にトランスレートし、それをK姉妹が韓国語にトランスレートしたのだけれど、不思議な事に、私の英語能力の限界で聞き取れない事があっても、内側の霊がことばを察知し、動揺も不安も全く無く言葉が出てきた。
ことばが主から彼女に流れ、私とK姉妹が管となり、預言を受ける姉妹達へ流れてゆくような不思議な体験だった。
御霊に満たされ、涙なしにはいられなかった。

集会の後は、徒歩でベイエリアに繰り出す。
横浜案内の定番、横浜スタジアム→中華街→山下公園→大桟橋、というコース。
中華街でぶたまんを買い、山下公園のベンチでそれを食しながらベイエリアのトワイライトビューを楽しんだ。

その日、大桟橋には珍しく、超大型の豪華客船が2隻停泊していた。
1隻目は日本郵船の「飛鳥U」、2隻目はバハマ船籍の豪華客船「The WORLD」。
「The WORLD」世界でも唯一のレジデンス型客船だそうで、1部屋7200万円〜7億円までの高級価格帯で分譲販売だとか。。。
ちなみに私は、それよりもはるかに豪華なマンションを天に持ってます。(笑)
Pennyさんは無邪気に大きな船や、ライトが灯りはじめた横浜ベイエリアの夕暮れに感動していた。


景色にも満足し、ほど良い疲れになってきたので、タクシーで教会に戻り、そこでPennyさんとはお別れ。

まだまだ続きます。

水曜19時半からは通常、夜の祈祷会があって、韓国の本部教会からダウンロードしたメッセージをプロジェクターに映し、そのメッセージで礼拝するのだけれど、どうやってもプロジェクターが映らない。
30分前になってもどうにもならないので、急遽、なんと私が御言葉のメッセージをする事になった。

とりあえず20分ほどでヨナ書から準備したものの、会が始まってから、どうもヨハネ4章のサマリヤの女の箇所を語るように促されたので、本番では、その箇所で浮かんでくるイメージを細かく語らせてもらった。

準備はほぼしていないし、語るのに必死だった(?)ので、自分で語った内容をあまり覚えていない。
それなのに、ある姉妹がサマリヤの女の箇所からものすごく恵みを受けた、と言っていた。

私としては、えっ、そんなにすごかったの?という感じ。
すごかったとしたら、まさに、イエス様です。

その後はいつもどおり、KFCのワーシップで賛美。

何から何まで、御霊に促されるままの日でした。
最近、主が働かれるのを目にする機会はたくさんあったけれど、こんなにたくさん用いられ、不思議な経験をし、恵まれた日は初めて。
私の「理解」のキャパシティが狭くて、それら全てを受け切れず、溢れてこぼれたような感じだけれど、
霊的にすごくトレーニングされ、キャパシティが広がったような気がする。

私もPennyさんのように、主から流れてくることば、主から溢れてくる恵みを流しだすための、通り良い管としてもっと整えられたいなあ。
posted by リチャード at 17:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日常-祝福された日 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

生きてます

19日にアップした書き込みはぼやきとも言えるような内容のままずっと放ったらかし状態で、
私のページに訪れてトップに出続けている先の書き込みばかりを長らくご覧になっていた方々には心配させていたかもしれません。m(_ _)m
連休中は充実しすぎるほど充実していました。
とりあえず19日は沼津へ釣りに行き、日曜は礼拝後TWOS学び、そのまま泊り込みでPennyさんやT教会の皆と交わったりしてました。
今日は連休明けで仕事が溜まって片っ端から片付け中。
とりあえず元気に生きていますので、よろしくお願いします。
posted by リチャード at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

考えるな、感じるんだ

私は天と地を創られた神の導きを感じ、今ある道を進んでいるつもりである。

けれどこの道は、36年培ってきた常識を超え、想定できる安全圏を超えて、なお進んでいるさ中。
どこへ行きつくのか、全く想像できない。

男35歳も過ぎてみると、自ら培ってきた「常識」を超えて進むような事はまず無いし、想定できる安全圏を自ら越える事も、普通ならまず無い。

天高く飛んでゆく鉄道のような常識を逸した乗り物に自ら乗っておいて、
今まで住み慣れていた地上をはるか見下ろしてから初めて不安になるような気分。


果たしてこれで良かったのだろうか。
導きを感じたあの「感じ」に従った事は、はたして正しかったのだろうか。
それとも間違いだったのだろうか。
でも、もう引き返す事はできない。

今の私より遥かに歳を経た後、強引に主から人生の転換を迫られたアブラハムやモーゼは、どんな葛藤をしたのだろう。
彼らは神に選ばれ聖書に記録されたくらいだから、そんな葛藤はしなかったのだろうか。
もしそうなら、私はとうてい彼らのようにはなれない。

そんな風に悶々として祈った2週間ほど前。

心にささやく声があった。

あなたは、どうしてここにいるのか。

ああ主よ。
私はあれをしました、これこれをしてきました、、、と色々言葉が浮かんだけれど、
なんだかエリヤの二の舞のような気がして癪にさわったので、静かにじっと思い返してみた。

私は、何でここまで進んで来たのか。
それは、逆らえ得ない霊的本能に従って。
あたかも鳥を捕まえる単純な罠、
つまり、紐が結ばれたつっかえ棒が籠に仕込んであって、紐で棒を引くとバタッと倒れ、えさをついばむのに夢中な鳥を捕まえる、アレに引っかかったような感じ。

私は賛美、御言葉、臨在、交わりなどのエサにつられ、
夢中でついばんでいると、ある時バタッと霊的な籠が下りてきて、もう逃げ出せない罠にかかったような感じ。

してやられた。

あーそうですとも!
主よ、私はしてやられました。
あなたの臨在に釣られてここまで、、、

そう言った時、
私の道は間違っていなかったと悟った。

私の道には、いつも、主の導きがあった。。。

主よ、私の選択した選択、私の歩んできた道は、間違っていませんでした。
あなたは絶えず私を導いておられました。
後には栄光の内に受け入れてくださいましょう。

ああ、私は単純だ。
その事を理屈で考えるとむかつくけれど、霊的な本能的としては、これでいいんだ、と思った。

その事を説明しようとは思わない。
私にはその事を説明できるだけの国語力はないし、そもそも、理屈じゃないから。
私の歩む道は、間違っていなかった、と瞬時にわかったから。
posted by リチャード at 00:04| Comment(6) | TrackBack(0) | 感じた事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

TWOSのPennyさんcome!

Lukeさんも書いていますが、
英国の"The Way of the Spirit"のディレクターであるノーウィッチのCornerstone ChurchのPenny女史が昨日来日しました。
19-22日はSalt氏のカナン教会を訪れ、関西圏のTWOSの学びに与っている兄弟姉妹が交わり、
22日には関東に移動して、天声教会近辺に寝泊りしつつ兄弟姉妹達と交わり、27日にはKFCセレブに参加される予定。

詳細スケジュールは今のところ一切決めていっぽいので、御霊の導かれるままとなるでしょう。
22-26日は天声教会近辺に寝泊りするものの、教会の皆は英語がほとんど出来ない。
英語・韓国語・中国語・日本語圏の兄弟姉妹の交わり、さてどうなる事やら?!

かく言う私も韓国語が全く出来ないにもかかわらず親密な交わりが与えられているので、使徒時代のように、言葉を超えた不思議で親密な交わりが成り立つ事を期待してます。

フォースが共にあるように、
じゃなくて、
御霊が導かれるままに。
posted by リチャード at 20:51| Comment(6) | TrackBack(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月14日

愛のプレゼント

9/12の天声教会早天祈祷会で語ったメッセージの概要です。

黙示録3:7,8
フィラデルフィアにある教会の天使にこう書き送れ。『聖なる方、真実な方、/ダビデの鍵を持つ方、/この方が開けると、だれも閉じることなく、/閉じると、だれも開けることがない。その方が次のように言われる。
「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。あなたは力が弱かったが、わたしの言葉を守り、わたしの名を知らないと言わなかった。

黙示録の7つの教会に宛てた手紙のうち、非難が無く、賞賛だけされている教会は、2つしかない。
フィラデルフィアということばには兄弟愛という意味があり、主はその教会をどのように評価しているか7節を見てみると、
「力は弱い」、「わたしの言葉を守り」、「わたしの名を否まない」事が分かる。

主の目のには、力のある無しは関係なく、ただ御言葉を堅く守り、主が主である事を否まない事、純粋な兄弟姉妹の愛の交わりを保っている事が評価される。

主の名とは、すなわち
「ジェホバ・ジレ」(備え主)、
「ジェホバ・ラッファ」(癒し主)
「ジェホバ・シャンマ」(共におられる主)

主は一切の必要を備え、いかなる傷も癒し、どんな時でも共におられる、という信仰を、最後まで堅く保ち続ける者を賞賛し、だれも閉じる事の出来ない門を、その人のために開いて下さる。
その者には栄冠と、世に来るあらゆる試練の時にも守りの保障が与えられ(10節)、
ついには神の神殿の柱として下さる。(12節)
神殿の「柱」は神殿の中から迷い出る事はなく、神殿の無くてはならない構成のひとつとして、とこしえに堅く保たれるのだ。

キリスト者であるなら、このように、主の一方的な恵みによって、必要が満たされたり癒されたりする経験を、いくつかしているだろう。
それらの一つ一つの経験は、雅歌において男性が女性に愛を込めて贈るプレゼントのように、真に愛に満ちたプレゼントなのだ。

雅歌1章
恋人よ、あなたをたとえよう/ファラオの車をひく馬に。
房飾りのゆれる頬も/玉飾りをかけた首も愛らしい。
あなたに作ってあげよう/銀を散らした金の飾りを。
王様を宴の座にいざなうほど/わたしのナルドは香りました。
恋しい方はミルラの匂い袋/わたしの乳房のあいだで夜を過ごします。
恋しい方は香り高いコフェルの花房/エン・ゲディのぶどう畑に咲いています。

ソロモン王(真の意味では、イエスキリスト)が、花嫁(真の意味では私たち)を、ファラオの車をひく馬に例えている。
女性を戦車馬に例えておいて「愛らしい」と言うのは奇妙に見えるかもしれないが、彼が評価しているのは、彼自身がプレゼントした玉飾りをつけている首、彼自身がオーダーメイドした金の飾り、またナルドや香の袋であって、彼女自身ではない。
それらを身に着けている彼女が王にとって愛らしく、彼の与えた香り(キリストの香り)を放つ彼女に、王は惹き寄せられるのである。
後になると、彼女の体の一つ一つの部位を細やかに誉めそやす場面も出てくるが、それは婚礼後の奥の間での交わりにおいてであり、まずは、彼女自身が、王の与えた飾りや香りを身につける事から始まる。


追記:
K姉妹は、雅歌のその箇所の「ファラオの車をひく馬」に光が当てられ、
ファラオの乗る車の馬とは、自身の赴くままという性質がそぎ落とされ、訓練に訓練を重ねられ、王の思うままに手綱で制せられる、重要な馬である。
王に用いられ愛される尊い器とは、そうやって自我が砕かれ、訓練された者である、と加えてくれた。


もし女性が強く金持ちで、自分の思い通りにアクセサリーや服、香水などを買う事ができ、自分の思い通りに自分を飾れるなら、男性からの愛のこもったプレゼントを身につけられる量は少ないだろうし、ありがたさも少ないだろう。
けれど、弱く貧しい者は、幸いである!
愛する人の望み通りに、ただ飾られるしか無いから。

力の無い者、貧しい者は、主にあって幸いを得やすい。(マタイ5:3、ヤコブ1:9)
主の一方的な恵みによって、必要が満たされたり、癒されたりする経験の一つ一つこそ、すなわち愛の篭った玉飾りであり、オーダーメイドの金の飾りであり、匂い袋である。

それら愛のプレゼントによって人生を満たした人はキリストの婚礼に招かれ、婚礼後の奥の間において体の一つ一つの部位(キリストの体、すなわち私たち一人一人)を、細やかに誉めそやしてくださるのである。
posted by リチャード at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 御言葉の剣 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする